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山口一生 佐賀県太良町議会議員
一般質問 /

多良岳:忘れられた「日本最古の霊場」を再発見する

まとめ

  • 事実:多良岳は、空海や行基も訪れた日本最古級の霊場である。しかし、キリシタンによる焼き討ちや廃仏毀釈で多くが失われた。
  • 論点:町が設置した約200基の史跡標柱(木製)が老朽化し、文字が読めなくなったり倒れたりしている。
  • 次の問い:これらを放置せず修復し、海中鳥居(海)と多良岳(山)を歴史ストーリーでつなぐ新たな観光ルートを構築すべきではないか?

質問の背景(なぜこれを聞いたのか)

太良町は「カニとミカンの町」だけではありません。数千年の歴史の積み重ねの上に私たちがいます。 歴史を知ることは、自分たちのアイデンティティ(背骨)を強くすることです。「何もない町」ではなく「見えていないだけ」なのです。

質疑の整理(要点)

1) 朽ちる標柱

平成21年に1200万円かけて設置された標柱が、風雨で腐食しています。 観光客がこれを見てどう思うか。「歴史を大事にしない町」と思われてはおしまいです。計画的な修繕を求めました。

2) 危険なパワースポット

観光協会HPに載っている神社でも、石段が崩れかけて危険な場所があります。 「予算がない、氏子に任せている」というのは行政の論理ですが、観光客を呼ぶなら最低限の安全確保は町の責任です。

3) 海と山をつなぐレイライン

海中鳥居から多良岳を結ぶ直線の先には、英彦山(福岡)があります。 これらは偶然ではなく、古代からの信仰のライン(レイライン)です。海中鳥居に来た客を「映え写真」だけで帰さず、山へ誘うストーリー作りを提案しました。

メモ

歴史は一度失われたら二度と戻りません。今ある「残り火」を消さないために、記録し、語り継ぐことが私たちの責務です。

全文(書き起こしテキスト)を読む

1番(山口一生君)

議長の許可を得ましたので、通告に従って質問をさせていただきます。

今回は、太良町の歴史を未来につなげることについてということで質問をさせていただきたいと思います。

前回3月に太良町の歴史編パート1ということで、戦後の太良町はどういうふうに発展してきたか、どういうふうに復興してきたかみたいなところでいろいろ質問をさせていただいたんですけども、歴史編パート2ということで、今回1,200年、1,300年ぐらい遡って、太良町はどういう場所だったのかなというのを考えていきたいなと思っています。

ちなみに、今、世の中は私は戦争中なんじゃないかなと思ってて、いつも争いが起きますけれども、今の現代では認知戦というのが主流になっています。認知戦というのはどういうことかというと、人の認知、頭の中で戦争をするということなんですけども、戦場はテレビとかスマートフォンとか新聞の中で行われています。なので、皆さん、ここ3年ぐらい、何の情報が本当で何の情報がうそか分からないような、常に2つ、3つ選択肢が与えられる中で判断に迷うこともたくさんあるのかなと思っています。私も判断に迷ったので、それだったら確実なものは何かということで、太良町の歴史を深掘りしてみたいなと思ったのが今回の質問のきっかけになります。

では、質問をしたいと思います。

太良町は、石器時代からの歴史を有する土地であり、2,000年を超える文化の積み重ねがあります。現代においては多数の文化的、歴史的遺産が風化してきており、未来の太良人へ受け継ぐことが困難になってきています。我々世代が受け取ったものを次につなげるためにも、町政としての取組と考えを問う。

1つ目、多良岳は日本最古の霊山、霊場であるが、この重要性については町はどう考えているか。2つ目、町内各地にある神社やほこら、社などの管理はどうなっているか。3つ目、現在町が認識し、標識や標柱などを設置しているのは何か所あるか。4つ目、本町における文化遺産、歴史遺産の定義はどうなっているか。5つ目、町内の文化遺産を保護するための年間予算及び人員はどれほどか。6つ目、著しく劣化、損傷している遺産の修復についてどのように考えているか。7つ目、本町を自然と文化、歴史遺産の保護区として認定し、観光資源としても活用することについてどのように考えるか。

以上、7つになります。

教育長(松尾雅晴君)

山口議員の太良町の歴史を未来につなげることについてお答えします。

1番目の多良岳は日本最古の霊山であるが、この重要性についてはどう考えているかについてでありますが、多良岳はかつて修験者の道場としても重要な地位を占める霊山であったことから、町の重要な資源であると考えております。

次に、2番目の町内各地にある神社やほこら、社、そういった管理はどうなっているかについてでありますが、町内各地にある神社やほこら、社の管理につきましては、地区の住民もしくは氏子さんによって行われているものであります。

次に、3番目の現在町が認識し、標識や標柱などを設置しているのは何か所あるかについてでありますが、町で設置した標柱は約200基であります。

次に、4番目の本町における文化遺産、歴史遺産の定義はどうなっているかについてでありますが、歴史上、芸術上価値の高いもので、町にとって重要なものを町の重要文化財として指定をしております。

次に、5番目の町内の文化遺産を保護するための年間予算及び人員はどうなっているかについてでありますが、まず年間予算につきましては、遺跡、文化財などの案内表示板の維持補修に係る経費といたしまして、年間20万円の修繕料を予算措置しております。人員については、専門の職員は配置をしておりません。

次に、6番目の著しく劣化、損傷している遺跡の修理についてはどのように考えているかについてでありますが、町指定の重要文化財につきましては、先ほど御説明いたしました修繕料にて対応していきたいというふうに考えております。

次に、7番目の本町を自然と文化、歴史遺産の保護区として認定し、観光資源としても活用することについてどのように考えるかについてでありますが、本町を自然と文化、歴史遺産の保護区として認定する計画はございませんが、町にとって重要な文化財につきましては町の重要文化財として指定し、保護していく必要があると考えております。観光資源としての活用につきましては、近隣市町と連携しながら広域的な観光ルートを構築していきたいというふうに考えております。

1番(山口一生君)

お答えいただき、ありがとうございます。

順番に行きたいと思うんですけれども、1つ目の質問で、多良岳は日本最古の霊山であると、これをどう考えてますかということで、非常に重要な観光、歴史の資源であるという回答をいただきました。

これ、今残っている物自体が非常に少ないということもありまして、例えば大村藩のほうがキリシタンでございましたので、2度焼き討ちに遭っているそうです。1580年ぐらいと、その後も焼き討ちに遭っている。なので、今残っているものというのは、大体フルの100%のうち10%ぐらいが恐らく現存してる歴史の要素かなと思っています。その後、もちろんキリシタンで焼き討ちに遭った後に明治維新がありますので、明治維新で大きく方向転換をしたときに廃仏毀釈、神仏習合、神仏分離ということで、すごく大きな変化があったと思います。

そういう中で、今太良町に残っている資源、仏像とかそういった石仏とか建物というのは、例えば英彦山さんとか熊野古道とかに比べたら非常に少なくはなっています。ちなみに、今そういう場所を訪れてる方が、山登りとかで来られてると思うんですけれども、企画商工課のほうで把握をされてる、どのぐらいの人数が例えばキャンプ場を利用されてるとか登山に来られてるか、そういった数字はお持ちでしょうか。

企画商工課長(萩原昭彦君)

お答えいたします。

すいません、今資料のほうは持ち合わせておりませんので、後ほど報告させていただきたいと思います。

1番(山口一生君)

後ほど教えていただきたいんですけども、コロナがはやってた時期も、山登りというのはアウトドアとして結構いろんな方が来られてました。教育長も結構山登りがお好きだと思うんですけれども、よく金泉寺とか多良岳とか行かれてると思うんですが、よく行かれる理由というのを教えていただいてもいいですか。

教育長(松尾雅晴君)

私は平成17年ぐらいに何かのきっかけであずまやから登った。それから半年ぐらいして、頂上に行くところの鳥居がありますよね、あそこのところに七、八人おられて、あんた今から登るんかって、はいって。いや、1人行方不明になっとると、ばらばらで探しよるけれども見つからんと。そしたら、こっち方面はおまえに任すけんと、ほかはまた人間が入れ替わってと。そういうことがあってちょっと怖くなって、結局その人は見つかりましたからよかったですけども。

それからしばらくしてNHKの「にっぽん百名山」、それから今最近やっておりますNHKの「にっぽん百低山」ですか、あのテレビの影響がどれだけあってるんかなと思ったもんですから、向こうの高原のほうの金泉寺に行く工事用の車とか管理人さんが行くそういったところを見に行っておりますけども、今若い人はスマホの時代とかなんとか言うけれども、ある程度山ガールとか、ある種健康のために山に登ろうと、そういう人たちはテレビの影響は大なんだなと。特にあずまやのところの車のあれなんかを見ますと、久留米、北九州、福岡、大分、熊本、そういった他県ナンバーもかなり止まっておって、ある種健康もあるけれども、多良岳は九百何メーターですのでいわゆる低山のほうでしょうから、そういった意味でいろんなああいったテレビの影響というのは、自分の健康も含めて多くの人が、そういう女性もお年寄りの方も登ってるんだなと。そういう意味合いで、ちょっと時間があるとき車で山茶花高原のほうに見に行っとるというような状況です。

以上です。

議長(坂口久信君)

ちょっと待って。教育長、マスクはぴしゃっと外してから言わんと、せっかくよか男の顔の見えんごんなってしまう。

教育長(松尾雅晴君)

失礼しました。

1番(山口一生君)

いろいろメディアの影響とかもあって登山のお客さんが来られていると。そういう中で、教育長自身も時折金泉寺とか多良岳のほうに足を運ばれてるということなんですけれども、もともと多良岳がなぜそこまで人を引きつけてきたかというところでいろいろ調べてみました。

いわれがあって、最初インドのマガタ国王という方がインドから飛んで来られたそうです。その当時空を飛べたのかどうかは定かじゃないですけれども、例えば最初に英彦山に行って、多良岳に寄って、後に熊野に行って山を開いたと。そういったマガタ国王が来られた何百年か後に歴史上で有名な行基という方が、またその方も英彦山に来て、多良岳に来て、熊野へ行っています。その100年後に、今度はまた歴史の人物で弘法大師空海という、真言宗を開いた開祖ですけれども、その方も英彦山に行って、行基の足取りを追って多良岳に来て、お寺を開いて、熊野に行かれたと。その後、熊野に行ってそこで高野山を開くわけですけれども、歴史上で非常に有名な宗教家とか修験道の方というのは、必ず英彦山とか多良岳とか熊野のほうに行ってるという共通点があります。

その中で、英彦山とか熊野古道というのは全国的にも有名なスポットなんですけれども、何で多良岳だけこんなに知名度がないのかなというのでいろいろ調べたところ、やっぱりそういう焼き討ちに遭ったり明治維新で壊れたりして、今はちょっと廃れちゃってるのかなというのが正直なところです。

それで、今太良町に観光客の方が来られてると思うんですけれども、年間、大体何名ぐらいの方が観光で来られていますか。

企画商工課長(萩原昭彦君)

お答えいたします。

以前の記憶で申しますと、コロナの前では65万人ほどの数値だったと思いますけども、コロナ禍でちょっと影響はあってると思います。詳しくは、手持ちを持っておりません。

以上です。

1番(山口一生君)

カニを食べに来たりとか、例えばミカンを食べに来たり、カキ焼きのシーズンとかはもうとっくに町が渋滞するぐらいお客さんが来てると思うんですけれども、コロナも終わって大分お客さんも戻ってきました。例えば、65万人ぐらい町のほうに観光で来られてるということなんですけれども、英彦山とか熊野とかあるんですが、特に熊野のほう、こちらは年間で何百万人かお客さんが来てるからというのもあるんですけれども、このエリアで35万泊されています。そのほぼ全てが外国人のお客様です。35万泊です。なので、とてもじゃないですけれど、そんなたくさんお客さんが来られたら今のキャパシティーでは太良町はとても対応はできないんですけれども、それぐらいのプロモーションとかマーケティングを行えば、日本人の方、外国人の方が長期に滞在をして町を楽しんでいただけるような可能性がある場所ということで、私は考えを改めました。

そこで、昨日英彦山神宮の宮司さんとお話をする機会があって、英彦山のほうは上宮が今壊れてるのでそれを修理をしますと、そういうことで言われてて、修理には国が半分お金を出して、県が4分の1出して、町と神社がその残りを出すということで話がついているそうです。その英彦山全体を史跡として登録をされています。

今多良岳周辺、史跡とかいろいろあるんですけれども、山も含めて太良町の重要文化財であったり文化財として認識または登録をされてるものというのはどれぐらいあるんでしょうか。それを教えてください。

学校教育課長(與猶正弘君)

お答えします。

多良岳周辺ということでよろしいですかね。(「はい」と呼ぶ者あり)

多良岳周辺で町のほうで重要文化財と指定しているものが2か所でございます。1つが多良岳上宮にあります六体地蔵菩薩立像、それと役の行者座像でございます。

以上です。

1番(山口一生君)

六体地蔵と役の行者座像ということで、その2つを重要文化財として町が登録をしてると。その2つ、私も見たことあるんですけども、非常に精巧な作りで、非常に昔から太良町にある町の宝ということで認識をされてるかと思うんですけども、そういったものが実は多良岳の中にごろごろあるんですよね。ほかにも重要文化財、もしくは歴史を伝える材としてもう少し多くのものを一つ一つ登録するのもいいけれども、そのエリアとしてもう少し認識を改めてもいいのかなというふうに思います。

ちなみに、熊野古道は2004年頃に世界遺産として登録をされています。地球上で熊野古道という場所が世界の宝であるということの運動をして、それで登録をされているんですね。もちろん、それまでずっと町の人たちだったり地元の人たち、和歌山県だったり日本国であったり、それが世界ということでいろんな運動があったと思うんですけれども、一番最初は町の人たちがそこの歴史的なものとかその場に対してどういう考えを持ってるかというのがスタートにはなるかと思います。

それで、多良岳の山のてっぺんももちろん太良町は面白いんですけれども、太良町全体にそういった史跡とか歴史を伝えるもの、もしくは神域、神、仏がいるであろうと言われてる場所がたくさんあります。そういった場所というのを認識し、標柱とかが立ってる場所が200件あると言われています。この200件に標柱を立てたきっかけというか、それについてまずは教えてください。

学校教育課長(與猶正弘君)

お答えします。

今木柱で立てております標柱が約200基ありますけれども、この立てたいきさつですけれども、もともと平成21年度に佐賀県緊急雇用創出基金事業、これが実施されるに当たって、町として学校教育課として何かできる事業はないかということで課内で検討した結果、地域文化財の保存整備事業ということで、3か年にわたり標柱を設置していったところでございます。

以上です。

1番(山口一生君)

平成21年に雇用の対策として国からいろんな補助があって、それで標柱を立てたということなんですけれども、これは木製というか木で作られておりまして、最近私、太良、大浦関係なくいろんなところを見て回りました。やっぱり同じ時期に標柱が立てられておりますので、かなり損傷というか、根元のほうが腐って倒れてしまったり、もう字が読めなくなってしまったりしているものがあります。

来年、国スポということで結構多くのお客様がいらっしゃるかと思うんですけれども、そういった中で、例えばそういった歴史が好きな方とかが太良町はどういうものがあるかというので見て回ったときに、行く先々でそういう標柱が朽ちておりますというのを目にされたときに一体どういう気持ちになるのかなと私は思いまして、こういった標柱を今後どうしようとされてるのか、例えば修理をしようと思ってるとか今調査をしてるとかいろんなステージがあると思うんですけれども、現在の町の動きとしてはどういったことをされてるか、教えてください。

学校教育課長(與猶正弘君)

お答えします。

町としましては、先ほど教育長の答弁がありましたけれども、毎年20万円のそういうとの修繕ということで予算をつけております。今後も著しく老朽化した標柱について順次計画的に修繕なり、必要とあれば建て替えを行っていきたいと考えております。

以上です。

1番(山口一生君)

老朽化をしてる標柱等々あるんですけれども、一応そこの標柱には太良町ということで、太良町が立てましたということで書いてありますので、なるだけ早く損傷が激しいものについては建て替えをされたほうがいいんではないかなと思っています。

いろいろ見て回る中で、山の中とかも結構そういった場所があって、正直やぶに埋もれてしまったり、一部破損がかなり激しいようなところもあります。基本的なそういったところの管理というのは地区の方とか氏子の方がやられているかと思うんですけれども、そういう場所について、町が標柱を立ててるにもかかわらず埋もれてる場所があるということを町の行政の方は御存じなんでしょうか。

学校教育課長(與猶正弘君)

お答えします。

基本的には、町のほうでは把握ができておりません。地区の方、区長さんとかその辺から申出とかない限り、町のほうで把握ができておりません。

以上です。

1番(山口一生君)

200件と言わず、それ以上に場所場所ありますので、基本的に地区の方とかで管理をしていく、管理をお願いしてるというか、地区の持ち物であったりすることも多いかと思いますので、なるべくくいを立てた場所については少し目配せをしたほうがいいんじゃないかなと思っています。

そういったことをやる上で、人手が足りないということもあるかと思うんですけども、歴史的なものとかそういったものを管理とか保護していくために人材をあてがっていくというか、そういった人を雇用したりするようなことは今後考えられないでしょうか。

学校教育課長(與猶正弘君)

お答えします。

先ほど申しました標柱の設置については3年がかりで設置をしておりますけれども、そのときの3年間の総予算が、ほぼほぼ人件費ですけど、1,200万円ほどかかっております。さすがに今後もこの規模の予算措置をしながらしていくのはちょっと厳しいのかなと思っておりますけれども、できるものから対応はしていきたいと考えております。

以上です。

1番(山口一生君)

標柱を立てるだけでも人件費で1,200万円かかるということなんですけれども、そのままほったらかしにするのかどうかというのは、私は修復したほうがいいんじゃないかなと思っておりますので、前向きに検討を続けていただきたいなと思っています。

人間的な部分と、もう一つ、予算の措置ということで修繕料で20万円を毎年充てられてると思うんですけれども、そういったところで私が見て回った感じで、非常に損傷が激しい、例えば神社とか社とかそういったところも時折ありました。その地区の方が修繕をすることができないとかそういうこともあるかと思うんですけれども、例えば一部は石段が非常に危ない状態になっていて、例えば観光に来られたお客様がそこの石段でひっくり返ってけがをされたとか、そういうこともあり得るような状態の箇所も結構あります。何か所かあって、特に危ないのは、御手水の神社とかは観光協会のホームページにも載っているんですけれども、いざ行ってみたら石段が非常に危ない状態にあると。お客さんが少ないときはいいと思うんですけれども、今後コロナも終わってお客さんが来て、最近そういったパワースポット巡りみたいなものもはやってはおりますので、太良の観光協会のホームページを見て例えば行かれたお客さんがけがをされたとかそういうことになってしまったら管理不足を言われる可能性もありますが、どこまでできるかというのはもちろん答えにくいとは思うんですけれども、そういった観光資源として歴史的な資源として考えたときに、最低限のそういった補修をしていくということに予算をつけていくってことに対してはいかがお考えでしょうか。

学校教育課長(與猶正弘君)

お答えします。

そういう最低限の補修ですけれども、神社仏閣については町のほうは基本的に関与しないことになっておりますけれども、そこが標柱が立っている場所とかでございましたら、標柱の修繕の際にちょこちょこっと我々で手直しができる簡単なものについては補修をしていきたいと考えております。ただ、大がかりな何百万円、何千万円ってかかるような修理につきましては、やはり地区の方、もしくは氏子の方で対応していただけたらと思っております。

以上です。

1番(山口一生君)

できる範囲は、例えば標柱を入れ替えたりするときに自分たちでちょっと掃除をしたりとか少し手直しをしたりということは可能かと思うんですけれども、町のほうでそういったものに関しては氏子さんとか地区の方に基本的にお願いをしたいというのはよく分かります。

ということは、今の状態というのが、もし人が今後減っていって、そういった予算も寄附によって賄うというのが非常に今後難しくなっていくと思います。なので、今の状態というのが一番いい状態ということになりますけれども、それからもっと改善されることは基本的にはないというような理解でいいんでしょうか。

町長(永淵孝幸君)

町が指定した文化財についていろいろな危険な状態にあるとすれば、地域の方が管理している上でこれは危険だなというふうなときには、町のほうでもそういうお話をいただければなという思いもしておりますので、そういったところがあればというふうなことで調査を区長さん方にしながら、そしてうちのほうもいろいろ文化財に利用できる財政的なものも含めて検討して、先ほど担当課長も言うたように、小規模であればすぐできるかも分かりませんけれども、大規模なときはなかなか厳しいのかなという思いもありますので、そこら辺は地域の方とどれだけの自分たちが管理しておられる文化財が危険な状態にあるのかというふうなところまで含めて調査してみたいと思います。

ちなみに、私もうちの部落にはあります。それで、ここらは全部地域でやっておりますけれども、自分たちでちょっと整理をしてみたりとかということでやっております。それで、先ほど言われた標識あたりが老朽化して見えにくくなったというふうなことで、それは教育委員会にお願いして新たに設置してもらったということもありますので、できるところ、できないところがあるかと思いますので、そこら辺は調査をしてみたいと、そういうふうなことを思っております。

そして、先ほど多良岳に登っておられる登山客あたりを言われましたけれども、あそこで担当課長が把握してないというふうなことですけれども、結構歴史的なものだけではなくて、草花を見に行ってというふうなことで大型バスで来られるお客さんもかなりいらっしゃいます。実は、私のところも目の前を車が土日おれば通るわけですけれども、かなりの観光バスあたりが上っておりますので、キャンプ場を含めて多良岳、経ヶ岳周辺には登っておられるなということで、実は私も昨年登ってみました。5月に知事が登ると言ったから一緒に知事と登り、その1か月後には経ヶ岳にも登ってみました。

そういったことで、お客さんはちょこちょこちょこちょこ見えておられます。どこから来られましたかと聞けば、大村のほうからという方もかなりおらっしゃるわけですよ。ですから、登っていかれるのは太良町の中山のほうからも登ってほしいなという思いもありますので、これも今議会でしておりますキャンプ場の周辺の整備も併せてやって観光客、登山客を含めて交流人口の増に努めていきたいと、このように思っておりますので、議員の提案されてる分については調査してみたいと、このように思っております。

以上です。

1番(山口一生君)

町長のお言葉で、自分も登ってみて改めてよさを認識したと。歴史もさることながら、やっぱり登って、運動としても非常にすがすがしかったと思うんですけれども、そういう中で、今は海中鳥居とかも栄町の方が頑張って作られて、本当にいろんな多種多様な方が太良に寄るきっかけになっているかと思います。中には外国人の方も結構いらっしゃって、そこできちんと海中鳥居のいわれとか歴史を話されてガイドをしていただいてる方もいるんですけれども、海中鳥居のあそこの島と一直線に結ぶと、多良岳に向かっていると、あの線上に多良岳があると。さらに、それを福岡のほうに有明海を越えて線をのばしていくと、実は英彦山につながっていますということで、昔の人がそれをどうやって把握してたかというのは本当に謎なんですけれども、やっぱりそういったつながりを感じる場所ということで非常に重要だなと思っています。

海中鳥居は、今日はちょっと雨なんで来てないかもしれないですけども、すごく多くの方が日々来られてます。私がいつももったいないなと思うのが、海中鳥居に来られてるお客さんが、その後どこに行くでもなく帰られる方とか写真を撮って終わりということが多々あります。しかし、鳥居とかああいう神秘的な写真を自分で撮りたいとかって思う方にとって、山に登るまではいかなくても、太良町の海中鳥居の入り口をくぐって太良町に入ってきていただいてるので、例えば竹崎のほうに寄っていただくとか、いろんな場所場所、中山のほうに寄っていただくとか、そういったコースを案内をするようなことも今後検討して、あそこの海中鳥居のところでなるべく宣伝をしていくというようなやり方も考えられるかと思うんですけれども、あそこを入り口として多良岳の頂上までいろんなコースを回るというのも考えられると思うんですけども、こういった考えについては町のほうはどういうふうに思われますか。

町長(永淵孝幸君)

今確かに議員言われるように、海中鳥居には外国人の方から国内から来ていただいているというふうな、その方たちに太良町にとどまっていただいて、御飯を食べてみたり、宿泊してもらうというふうなことは大事なことだと思っております。ですから、例えばそういった方々が山にも登られるような案内標識、そういったところも、あそこが町有地でありながら漁業者が権利を持っておられますので、以前ちょっと計画をして相談をしたところすぐオーケーが出なかったもんですから今中座しているところもあります。そういったものもありますので、できるだけそういった思いで、太良町に来て、竹崎城に行ったりとか多良岳に登ったりとか、そしていろいろ食もしてもらうというふうなことで考えております。

私はこの前、たまたま若い女性やったもんですから声をかけたとですけど、昼食はここら辺に行こうって、いや、これで調べておりますから大丈夫ですって一発で断られたとですけど、スマホとか何かを持っていろいろ見えておられるようですので、そういった方を含めて、食べるのはそれでいいでしょうけど、町の文化財的なものを含めて案内をしていくのは必要かなと思っておりますので、それは検討してみたいと、このように思います。

1番(山口一生君)

太良町は、もちろんいろんな季節でいろんなおいしいものが食べられたりとか、宿泊するにも旅館があったりとか、いろいろある意味準備が整っているというか。例えば地域によっては海がないところとか旅館が一件もないとか、そういった自治体ってざらにあるんですけれども、太良の場合は海もあって山もあって、宿泊できるところも御飯を食べるところも今の現段階ではあります。なので、何かを新しく、例えばどでかい遊園地を造るとかそういうことは今のところは考えにくいとは思うんですけれども、実際今まである歴史のそういった遺産を生かして町をPRしていくというのは、今後ますます必要になっていくんじゃないかなと思っています。

それで、太良町の観光で非常に弱い部分というのがあるかと思うんですけれども、観光における弱点というのはどういうところがあるか、また強みがどういったところにあるか、そういったところの認識について町のほうにお伺いしたいと思います。

企画商工課長(萩原昭彦君)

お答えいたします。

まず、弱点といいますか弱い部分といいますと、地形的なところで交通の利便性というのは一つに考えられると思います。強みと申しますと、議員御案内のとおり、いろんな観光資源、食、おいしいものとか見どころもあるところだと思いますので、その辺を連携しながら振興を図っていかなければならないかなとは思っております。

以上です。

1番(山口一生君)

立地が非常に佐賀の端っこというか、かなり来にくい場所にあるというのは、実際そうかなと思います。

私もいろいろと状況を調べてると、年中通してPRできるような材料というのが非常に少ないのかなということを思います。例えばカキとかカニとか海産物にしても、やっぱりシーズンというのがどうしてもあって、常に潤沢にあるというものではないと。例えばミカンにしても、冬場はあるけれども、夏場はどうしようかということで、やっぱり波がある。冬場は結構提案できる材料がたくさんあるんですけれども、どうしても夏場になると、どういう材料でお客さんを呼ぶかというのに毎年苦慮をされているかと思います。

そういったところで、自然という要素だったりとか例えば歴史的な遺産というものは、夏であろうと秋であろうと冬であろうと春であろうといつでもそこにあるものですので、そういったところを磨き上げて、そういったものをつなぎ合わせていくことによって、いろんな年中お客様に対してPRできるような要素に成長していくかと思うんですけれども、こういった考えについては執行部のほうはどういうふうに考えますか。

町長(永淵孝幸君)

今議員が御案内のとおり、太良町は夏場に、今からですよ、今からがあんまり食がないんですよ。ですから、今度ウミタケが6月に出たということは本当にうれしいニュースだなと思っておりますけれども、こういった海のものが二枚貝もなかなか採れていない。昨日だったんですけれども、実は海中鳥居の先付近にアサリが結構出ているというふうな話が来ましたので、その対策をするように、そのアサリを何とかせないかんと。今小さな稚貝ですけれども、それをしないといかんというふうなことでやっております。そういったことで、夏場に、今から先食べるものがなかなか、海のものにしてもミカンも先ほど言われるようにないと。そういったわけでありますけれども、太良町はやっぱり竹崎カニで売ってるもんですから、カニを何とか年中あるようにしたいと。やはり、お客さんはカニは冬場のものだと思っておられるわけですね。しかし、逆に冬場がないわけですよ。そういったことで、その辺のカニあたりの蓄養あたりを、以前やって失敗しましたけれども、また再度そこら辺は何とか、今丘でやっている旅館の若い人もいらっしゃいます。そういったところの状況も今お聞きしながら把握するように担当とも話をしておりますけれども、年中太良町に行けば例えばカニがある、そしておいしい海のものもある、山のものもあるというふうな形で何とかつなげていきたいという思いはしておりますけれども、ここは町だけでどうにもできる問題ではありませんので、関係者の方とも協議をしながらやっていくような話はいたしております。

ミカンについても、何か冬場だけじゃなくて、雑柑あたりを遅くまでもっていくというふうな形で何かできないかとか、今ブドウあたりも農家のほうでは取り組んでいただいておりまし、そういったことで何とか太良町、年中わたって海のもの、山のものがあるようにというふうなことで考えていかなきゃいけないなというふうな思いで、関係の団体といろいろ協議しているところでございます。

以上です。

1番(山口一生君)

やっぱりシーズンがあって、旬があるからおいしいとか、旬があるからいいということもあるとは思いますので、そういったシーズンの旬のものというものと通年提供できるようなものを組み合わせていくというのは、今後戦略としては必要になるんじゃないかなと思っています。

太良町に住んでる私も含めて、多良岳が例えばどういう場所か、太良町がどういう場所かという歴史についてはほとんど知らなかったなという反省がありまして、私もこの年になるまでそういった背景も知らなかったし、太良がいきなりぽっと出てきたような感覚すらあったんですけれども、よくよく最近になって調べてみると、2,000年とか、下手したら1万年とか10万年前からここに人がいて、ずっと暮らしをしていたと。そういう暮らしをしていく中で、今例えば海で思ったようにいろんな物を取れなくなってきてますけれども、昔はどういうやり方をしていたかとか、そういうものについてもっと知る必要があるんじゃないかなと、本当に個人的には思ってます。

最近、多良岳は山登りとかも小・中学生、高校生がされてると思うんですけれども、そういったところって年に何回ぐらいとか、いつ頃始めてるとか、そういった背景とかも教育長に聞いてみたいんですけれども、いかがでしょうか。

教育長(松尾雅晴君)

現在のところ、中学校が9月中旬、下旬に金泉寺に登って多良岳へ、そして下りております。そして、そのときについては、金泉寺にはグループの山の会の方々、それも地元ばかりじゃなくて多久とか長崎県の茂木とか、そういった長崎県側の方々もガイドで来ていただいておりますので、例えば議員さんのお話のように行基菩薩、そういうのがこの近隣にあるのかと。そういうのは諫早との多良海道を歩く、そういう中で去年の秋やったかな、湯江に和銅寺と。これが行基が造った石の像か何かがあると。そして、長田の上の御手水観音磨崖仏が49体刻み込んでありますけども、そこ辺りも行基が修行をした場だとか。それから、竹崎観世音寺にも行基さんの何かが入って、あそこのお寺ができとるとか。また、長崎のほうの方によると、大村から登ってくるところの黒木辺りにも行基菩薩のそういった関係したお寺がありますよとか。だから、地域の歴史を知るということも非常に大切、登ることも大切、歴史を知るということも大切。そして、その修行僧は自分のためだけじゃなくて、その地域の人々の生活を、健康を、そういったことまで含めてああいった修験道はやっとったということで、非常に人間的な意味合いも含めて教育的だというようなことで。

前にもお話ししましたけども、今はダンスとかなんとかあれなんですけども、民謡というのが小学4年生の音楽に入ってて、地元の岳の新太郎さんのあれが載っとるというようなことで、両方の小学校にもあるし、しかも太良町にはそのお墓があると。そういった意味でも、小学校の5年、6年あたりは多良岳まで行かなくても、音楽で習った岳の新太郎さんはこの金泉寺で、おっしゃるようにキリシタン大名の第1号の大村純忠と言ったですかね、彼が焼き討ちをかけて、それを防ぐために金泉寺に入っとったんだと。そういった歴史的なもの、心情的なもの、そういったものも含めて小学校のほうに、急にはあれですけれども、ちょっとそういった面を考えてみてくれとはお話ししております。

以上です。

1番(山口一生君)

近年、また小学生とか中学生とか高校生、登山を通じて多良岳、太良町の歴史とかそういったものに触れていこうというのを再開をされてるかと思いますので、そういった活動はぜひ継続してやっていけるように、学校のほうとも連携をしていただきたいなと思います。

太良町にずっと起こってることを整理すると、もともとそういった霊山という場所で、古くから有名な場所でしたと。それが、ずっと時代が移り変わるにつれて、キリシタンの焼き討ちにあったり、明治維新が起きたり、第2次世界大戦で敗戦したりとかという、そういったすごく大きなイベントを通じて、太良町のいろんないいところがどんどんどんどん漂白をされていっています。なので、言ったら、これは世界中いろんなところで起きてるんですけれども、物すごくユニークな歴史とか文化を持ってるいろんな地域がすごく漂白をされてると、真っ白になっていってるというのが今世界中で実は起きてるので、そういった流れに負けないように、もともとどういう場所であったかとかそういったものを伝える場というのを、教育だけじゃなくて、いろんな大人が子供たちに伝える場をつくったりとか、例えば標柱をきれいにすることによって大事にしたりとか、そういうのを今後はもっと町として取り組んでいただけたらなと思っています。